今日は損保ジャパン東郷青児美術館の【特別展】モーリス・ユトリロ展-パリを愛した孤独な画家-に行ってきました。昨日の疲れが半端ではなく、とても体力で勝負などできないので、あまり混んでいない美術館で癒されようという意図でした。
だがしかし §
ユトリロの作品は、むしろ病的でした。最後の常設点の東郷青児の絵が過剰なぐらいにきれいにはまっていると感じられたぐらいです。セザンヌやゴーギャンもバランス良く感じられた)
白い建物、白い壁、雪景色。白、白、白。
途中でどうしても解釈できない絵があり、しばらく立ち止まって考えたりもしました。自分なりの結論が出ないなら先に進まないと考えてずっと見ていました。
他の絵も含めて考え合わせると、以下のように解釈できました。(まあ素人の思いつきなので、信じてはだめだぞ)
- 白は抑圧からの救済の象徴である
- 白い建物はたいてい遠景にある
- それに至る道がある
- しかし、道は遠景の白い建物に繋がっていない (繋がっている場所が隠れていたり、柵で区切られていたりする)
- フェイクの白が多く存在する
- 初期作品の左右から迫ってくる白い壁は、抑圧と救済を同時に体現している
- 中期作品は、その種の抑圧から解放されてバランス良くなっている
- 後期先品には、まだ抑圧が戻ってきているが、達観しているのか初期の作品ほどではなく、初期作品にはなかったゆとりが残る
- 全般的に、本当にどこまで見ながら描いたのだろうか、という印象がつきまとう
というわけで、ここまでの結論は以下の通りです。
- ユトリロは病的な側面が大きく、全般的にどこか歪んでいて安心して見られない
しかし、美術館から出て1階に降りた後、1階にも特設のユトリロ&アート関連グッズ販売コーナー(フランス直輸入品もあり)を見て、やっと分かりました。
- そういうユトリロを評価して愛好できるフランス人の懐の深さはとても大きい